能 最速入門!


このページはすべて月刊雑誌「和楽」さま(平成28年6月号)より、能に関する記事、写真等をお借りして抜粋して掲載しております。…詳しくは掲載号をご覧ください。

世界が瞠目する日本の「能」

 

その訳1.型の美

 日本の芸能が持つ特徴として、「型」の存在があります。

 ある場面で必ずとるポーズや、感情を表現する時にきまってする仕草などを、型と言いますが、これがあることで役者は自分をより美しく、印象的に見せることが出来ます。

その訳2.なんと霊界との交信という発想

「夢幻能」と呼ばれる、世阿弥がつくり出した能のスタイルには一つの特徴があります。

それはなんと、主人公が死者であること。

 

「日本には、万葉集の時代から霊魂への信仰があって、芸能があの世との交信を担ってきました。マクベスの死霊は脇役ですが、能ならシテ(主役)になるでしょう。

 

日本のこの世とあの世は、水平方向に位置し、垂直に天国と地獄があるキリスト教の世界より距離が近いのです」と山折哲夫さん。

 

釈 徹宗さんも「主役に死者が多い芸能は、世界でも例がないのでは」と指摘。

前場と後場の二部構成になっていることも、仏教の深層心理学といえる唯識論の影響。

 

世阿弥など、阿弥号がつく能の作者には時宗の影響があると考えられています。そう能はあの世を垣間見せてくれる芸能なのです。 

 

その訳3.

無音という音、動という動きで魅せる

 

 「能で用いる特有の体の動かし方を覚えると、たとえ体を静止していても、エネルギーがみなぎり存在感がある演技ができます。

私は世界中の能のワークショップでこれを教えるたびに確かな手応えを感じています。」(エマートさん)

 

 静止の中にもエネルギーが満ちているように、無音の中にも同様な豊かな調べが広がります。

 世阿弥は人間本来の動きを何よりも統一して「型」をつくり、それを徹底。ムダな動きを省き、芸の完成度を高め、能の品格を高い芸術え押し上げたのです。

 

 

その訳4.言葉への研ぎ澄まされた感性

 「漢字、ひらがな、カタカナを駆使して書かれる日本語は豪華絢爛」というライターの橋本麻里さん。日本や中国のさまざまな古典を引用する、能の詞章そのものに惹かれるといいます。

「能」は具体的な情景を脳内で想像しなければならない、幻視、幻聴の芸能です。言葉によって複層的なイメージを喚起するのです。

 

 

その訳5.世界で唯一、600年以上不断の芸能

 

 世阿弥から600余年、文楽や歌舞伎も、すでに400年前後の歴史をもち、いずれも日本におけるユネスコの「無形文化遺産」に登録されています。

 

 武蔵野美術大学の今岡健太郎さん、「誕生した時代に最先端だった芸能が、その後の時代においても観客にアピールし続けて残ってきた演劇は他にはないでしょう」とその生命力の強さを讃えます。

 

その訳6.女人禁制(?)故により妖艶になった舞台

 

 今では伝統と位置づけられる能、文楽、歌舞伎も、発祥当時を振り返れば最先端の芸能、そして、能の大成者である世阿弥も、歌舞伎の始祖と言われる阿国もアイドルでした。

ところが風紀上の問題から、女性は締め出され野郎歌舞伎が台頭していきました。

 

 

その訳7.赤と金

 女性の役の能装束は「紅入」か「紅無」に区別されます。

 

 衣装が紅(赤)系であれば、若い女性です。金糸をふんだんに使った豪華絢爛な能装束は、ほの暗い能舞台の上で荘厳に浮かびます。「赤と金」が織りなす世界は、見る者を圧倒し、この世ならぬ夢幻の境地へと誘うのです。

 

その8.世阿弥! 演劇史上最高の天才プロデューサー&プレイヤー

 

 「千利休だけで茶の湯が語れないのと同様に、世阿弥だけで能を語ることはできませんが、世阿弥がつくりあげた複式夢幻能という形式のもつ意味はとても大きい」というのは橋本麻里さん。

 

 世阿弥は役者、脚本家、演出家、プロデューサー、評論家と、演劇のあらゆる側面に精通していた人です。おそらくは演者を信じることなく、その演者個人の技量が劣っていたとしても、演者を依り代に物語が立ち上がるような「システム」を考えたのだと思います。(橋本さん)

 

 世阿弥が書いた「花伝書」には、アメリカのアクターズスクールのように、演技に関する具体的なメソッドが書かれています。

 「まことの花とは、一期一会の舞台で観客と役者の間に生まれる感情です。それをいかにつかめるかが世阿弥一生のテーマでした。」橋掛かりの中には、舞台へ向かってわずかに傾斜するものがあり、

 

ただ歩くだけでも重力に逆らうため、自然と力感を感じさせる。「もしもそこまで世阿弥が考案していたなら、驚くべきことです」

能作の必要性とその実際を説いた世阿弥自筆の能楽論書。「花伝第六花修」の部分。

その訳9.結局!すば抜けた完成度!!!

 

 言葉や型、衣装、音楽、道具、装置など、文化が様ざまなかたちでぎゅっと詰まっているのが日本の芸能です。造詣の深い方たちに、話を聞いていくと、魅力の源はその「完成度」でした。

 

 能は、日本人にとっても難解に思えるのに多くの海外の人も惹きつけていますが、それは演劇として完成されていて、魅力的だからなのです。「過去の人々との交流の場を作る夢幻能というシステムを使えば、どんな国の人でも感動する物語を作ることができると思います」とエマートさん。

 

「能は役者の自立性が高く、全員がソリスト。リハーサルなしでも本番に臨めるくらいの鍛錬を積んでいるのが素晴らしいです」と永川さんが言うように、能樂師自身の完成度も目を見張るものがあります。

 

本の伝統芸能は、誰にでも開かれています。芸能の宝庫と呼ばれる国に住んでいながら、それを観ないとはもったいない!さあ、今月は何を見に行きますか?